2024年8月17日(土)、剣豪・宮本武蔵が生まれ育った作州大原(岡山県美作市)を訪ねる
ホーム
>>>
山登り 里歩き
1: はじめに
2: 宮本武蔵の里
(1)宮本武蔵顕彰武蔵武道館:(2)解体中の五輪坊・武蔵資料館:(3)宮本川:(4)武蔵の里楽市楽座
(5)武蔵道場:(6)青年期宮本武蔵像:(7)讃甘神社:(8)宮本武蔵生家跡:(9)観光案内所;(10)たけぞう茶屋
(11)平尾家住宅:(12)鎌坂つつじ園:(13)武蔵神社:(14)武蔵の墓
(上が北になる。宮本武蔵駅は写真の右上方です)
★2024年8月17日(土曜日)
私は智頭急行線(兵庫県の上郡駅と鳥取県の智頭駅間)のスーパーはくと号を利用して、大坂〜鳥取間を時々往復します。その中ほどにある大原駅に停車した車内から外のホームを見れば「宮本武蔵の里へようこそ」の歓迎幕がかかげられている。青若き頃、武蔵の「我事において後悔をせず」に心惹かれ、また吉川英治の「宮本武蔵」を読んだこともあって、かねがね一度この里を訪れて見たいと思っていた。そのチャンスが今年やってきました。夏の真っ最中だが8月17日(土)に実行、午前9時半に大原駅に到着。
剣聖・宮本武蔵は映画・ドラマ・演劇などであまりにも有名で、その名を知らない人はいないくらい。小説や書籍も多数出版されている。それじゃ、実際の武蔵はどのような人物であったのかといわれると、「謎の人」と云われるくらいその実像は判っていない。宮本武蔵に関するまともな史料、遺物、遺跡が残っていないのです。幾つかの関連史料はあるが、言い伝え、伝説のたぐいだったり、後世に内容が書き換えられたりして信用できないものが多い。武蔵は江戸時代からヒーローで、歌舞伎・浄瑠璃などの主人公となり、そのフィックションされた虚構が人々の中に浸透し、史料もその影響をうけ歪曲されているのです。特に生い立ちから少年期は不明な点が多い。吉川英治の「宮本武蔵」も 生まれ、少年期をぶっ飛ばし、十代後期の関ヶ原の戦いに参加した所からスタートしている。
「謎の人」宮本武蔵だが、作州大原(現在、岡山県美作市)も生誕地として有力は候補地です。いろいろな疑念は抱くものの、ともかく「宮本武蔵の里・作州大原」を見てみよう。
(追記)武蔵の作州出生説を批判し、「播磨」説を主張する立場もあります。その播磨の中で二か所の候補地がある。そこで一か月後の9月17日(火)に訪れてみました。